クライアントさまのお声 3
これからは私が自分自身を守り、受け入れて、大切にしていきたいと思います。
それを外の世界に反映し、愛し愛される世界を映し出していきたいと思います。
30代女性 カウンセリング 1年間
1年を通じて集合意識クリアリングのセッションを受けることは、最初はドキドキして不安でした。
21日間変容サポートプログラムを受けさせていただいた時に大きなブレイクスルーがあったので、1年という期間はそれ以上に大きな変化があることは予測できたため変化を受け入れることができるのか不安でした。
でもそれ以上に今を変えていきたい、もっと軽やかに生きていきたい気持ちの方が強かったです。
1年という時間を過ごした今、受けて本当に良かったと思います。
私にとって怖かった世界が以前よりもずっと優しくなりました。
私自身の肩の力が抜けて、安心しています。そこには以前と違った目線で世界を見ている自分がいます。
この1年の大きなテーマは「母」でした。
以前の私はインナーチャイルドという言葉があまり好きではなく、向き合うことに意味を感じていませんでした。
でもそれは本当の答えを見たくないために無関心であろうとしていたことが分かりました。
家庭環境の中で虐待を受けていた私は母だけは自分の味方だと思っていました。
一緒に共感し、私の痛みを理解をし、また困っている母の姿を見て助けようと必死でした。
母に愛されていることを感じるためだけに一生懸命に生きているところがありました。
でも、セッションを受けている内に実は母から愛されていないことに気付いていきました。
受け入れがたい真実に私は必死に母を庇いました。
「母はこうしてくれました」
「こんな時にこう言ってくれました」
「母も犠牲者なんです」
しかし、そう思っていたのは私が「通常の愛情をもつ母親」の存在を知らなかったから信じ込んでいただけでした。
「通常の愛情をもつ母親」の姿を聞いた時、そんなにも愛情深い存在がこの世にいるのかと思いました。
子供のことを守り、話を聞いて共感し寄り添い、抱きしめてくれる存在であることを初めて知りました。
悲しくて仕方なかったです。
そんなことをしてもらった経験が私にはありませんでした。
私が虐待を受けている間、母は一緒に被害者のふりをして私を守ってくれることはありませんでした。
家からも外の世界からも守ってもらえなかった私は、ただただこの世界は怖いことばかりであると震えていました。
それでも最初の内は自分を可哀想とは思えませんでした。
母には悪気はなく、気付かなかっただけ。
そう思うことで「仕方のないこと」だと思おうとしていました。
でもそれは、母を庇うことで自分にとって理想の母親像を崩さないようしていることだと教えてもらいました。
愛されていないことを認めてしまったら、私は自分の足元がどうなってしまうのか分かりませんでした。
それだけの恐れがありました。
でも、恵伝さんのお話を聞いてる内に少しずつ今までと見え方が変わってきました。
母に愛されていると思っている目線とは別の目線ができるようになりました。
その別の目線から見る母は「あれ?」と思うことが増えていったのです。
気が付くと親のように立ち回っている私と子供のような母、私を心配しているように見えて実は自分の立場の良いように動かそうとしている母、いつも被害者であろうとする母…そこには責任感とは無縁でいる母の姿が見えてきました。
そうしたことに気付き始めると、それを実感するような出来事が起こります。その体験を通じて、私は母が自分中心で子供には無関心であること、自分を守ることを一番に考えている人だということがハッキリと分かってきました。
強い悲しみと怒りが湧いてきました。
昔から怒りを出すことが苦手でした。
私にとって怒ることは人間関係を壊すことであったり、逆上されて痛い目にあったりするなど、デメリットしかないものだと感情を殺す癖があったからです。
でもそれは大切なプロセスでした。
クッションに怒りをぶつけながら、悲しみを言葉にすると、モヤモヤとした感情が昇華していくようでした。
自分を縛り付けていた感情が少しずつ解かれて、解放されていくように感じました。怒りは私のプライドや誇りを取り戻す要素であったように思います。
そして母にどんなに愛を求めても得られることはできないのだと、やっと認めることができました。
小さい頃から母の愛情を得られなかった私は、自分の中で母に愛されている幻想を必死に作り信じ込んでいたようです。
どんなに小さな出来事でもそれを大きく捉えて、愛なのだと思い込んでいました。
それ故に愛を感じられないような言葉は無意識に聞こえないように脳が書き換えをしていたこともありました。
でも母からの愛情を得られないことが分かった今、その幻想も解けていきました。
脳が書き換えをしなくなったことで、身近な存在からの言葉、親しいと思っていた人の言葉、親しくないと思っていた人の言葉が別のものに変わってきました。
関わる人達の真実の言葉が耳に入り、「本当のこの人は、こういう人だったんだ」という真実の姿が見えてきました。
これまでは人付き合いも「~ねばならない」という疲れる関係性に揉まれていましたが、本当に関わりたいと思う人達とだけ付き合ってもいいいという新しい選択肢が生まれました。
虐待を受けていたことが日常だった私は、居心地が悪い筈なのに慣れた環境に似たものを選ぶ習慣がありました。
だから自分を否定されたり、受け入れてもらえないことが当たり前だったので、その環境にいても当たり前に感じていました。
自分から望んで、その環境に入っていくものだから苦しい状態が続くことに疑問もありませんでした。
でも疲れはどんどん溜まっていき、生きる希望も失っていました。
それ程、母に愛されていないことを認めることは世界の終わりと同じくらい怖かったのだと気付いた時、自分のことを心から可哀想だと感じて涙が止まりませんでした。
恵伝さんのセッションを受けている時、私は新しい命を授かりました。
子宮には常にトラブルを抱えていたので自然に妊娠することは難しいと思っていました。
ですが、子宮とは母との繋がりそのものを象徴していたと思います。
真実の姿の母と向き合い始めたことで、子宮が新たな世界への可能性を感じて授かったものだと感じています。
そして生まれて来る赤ちゃんを思うと、母となる自分は子供に同じ思いはさせたくないという気持ちが強く出てきました。
強く出てきたと同時に私は本当は真実に気付いていたことが分かりました。
本当は「母から愛されていないこと」を最初から知っていたのです。
でも生きるために、それに気づかないよう必死に自分を押さえつけてきました。
インナーチャイルドに興味がなかったのではなく、決して見てはいけない真実にフタをしていました。
でもそれに気付くことで多くの幻想が解き放たれました。
母に愛されるために生きてきた目線が外れ、母に愛されなくてもいいと思えた目線は、私の映し出す世界に優しさを与えてくれました。
他人が怖くて関わり合うことが苦手だったのですが、私の肩の力が抜けたことで相手も肩の力を抜いて接してくれます。
以前よりも優しいコミュニケーションが築けるようになりました。
「自分の内側の世界が外の世界を映し出す」と教えてもらったことが、目に見えて分かりました。
まだ完全には母との分離ができていない私はセッションが終わってしまうこともあり焦っていました。
でも恵伝さんは早いことが良いことではなく、人には人の気付きの時間があって、そのプロセスを大切にしましょうと教えてくれました。
今振り返ると、自分自身の歪んだ沢山の思い込みの世界を見て「目を覚まして!」と肩を揺さぶりたくなります。
でもセッション中、恵伝さんは決してそうはしませんでした。
気付いていない私に「それ本当?」と伝えながら、沢山の言葉と時間、エネルギーを注いでくれました。それこそが愛そのものでした。
気付けばその愛が私の生活の中で疑問となってあらわれ、真実と向き合わせてくれました。
そうした愛は自分の中にちゃんと残って、支えとなってくれます。
今まで自分を押さえつけて、自分で自分を蔑ろにしていました。否定されることを良しとして生きてきました。
それを受け入れていれば、何か責任から逃れられるような気がしていました。
でも、その思いは外の世界へと反映され、自分を否定する世界が映し出されるだけでした。
これからは私が自分自身を守り、受け入れて、大切にしていきたいと思います。
それを外の世界に反映し、愛し愛される世界を映し出していきたいと思います。
また最初の頃のセッションでは「感覚」についても色々と教えていただきました。私は虐待において感覚が育てられておらず、味覚障害などがありました。
ここから味わうことの大切さや香りや手触りなどの五感を使った生活を意識することで生きることの楽しさや、充足感というものを少しずつ感じることができました。
ただ生きるだけだった世界に彩りを感じられることを教えていただいことは、これからの生きる楽しさとなりました。
1年のセッションでは足りない位の名残押しさと、沢山の愛情を注いでいただき、本当にありがとうございました。
このセッションを受ける前と後では親となる心構えも全く違っていたと思います。
自分の得られなかったものを生まれてくる子には与えてあげたいです。
そして一緒に幸せになっていきたいと思います。